昭和42年8月12日 夜の御理解
今日はかねてから、親先生のお指図を受けておりました。私、又は合楽の広前の教会設立のこと。そして私を教会長としてのおかげを頂くための隣接教会、それの同意書を頂きに参る日でございました。朝九時、善導寺を九時から出ました。北野、本郷、吉井、田主丸の各教会を回らして頂きました。
大変広大なおかげを頂いて参りました。それが連署を頂いたから、それで決定したというものでもなければ、決定的なものでもございませんですけれども、おかげはこれからでございますけれども私、本当に周囲の教会長先生方がもう本当にそれこそ、まあ、近所に道の同志が一人増える。道の教会が出来るということを、もう心から喜んで下さる。祝福して下さる様な状態の中に、今日はそれぞれの同意書を頂いて参りました。もう今までの事が嘘のような感じが致します。
そういうような以前ではない、雰囲気でございましたから、親先生も一応は同意書を貰いに回るけれども、なかに、とやこう言う教会があったらそういうのは問題にせずにそういうものはなかってもよいのだから念を押してからする必要はなかろう。例えば、一軒二軒、同意しないという教会があっても敢然として、今度は本部の方に教務所の方に書類を提出するという。だからそのつもりで回れと言うて今日は、行きがけに親先生から仰られたくらいでございました。
けれども本当に何処に参りましても、本当に送電もんね、そうりゃそうでなからなければならん、という、まあ言うならおめでとうございますというような言葉を、祝福して頂いてから、もう何処でも大変サービス受けて帰らせて頂きました。もう思いもかけない事でございました。四件が四件とも、こんなに好意的でおありになるということを、親先生もそれを広大なおかげを頂いたと言うて喜んで下さいました。
私はそうして今日一日先生の御用をさせて頂きまして、特に感じさせて頂きましたことですけれども、本当に人に真心の親切ということが大事なことであるかということを痛感したのでございます。同時に、本郷の教会に参りました時に、丁度今日はどこも祈願祭のあっておる時でございますから、どこをまあ何箇所でもひょっとするとおられないところがあるかも知れない。甘木関係が二軒、博多関係の田主丸が一軒、そすと、久留米関係は北野の一軒でしたけれど、北野関係は分かっておりましたけれど、あちらの関係は分かりませんでした。吉井なんかはどこかのお祭りにお出でなからなければならなかったのを、今日は何か、はんを頂かくことでございますからおっていただかなければなりません。早く出さなければなりませんでしたから、その時には、一回二回足を運んで行かなければならないところでしたけれども、丁度皆、御在宅でございましたでした。特に今申しました本郷なんかはあちらの客殿に通されましてから、ほんとに色々指導して下さったなかに、本当に大坪先生、私どんが親切が足りませんでしたという事を仰いました。私は、いえそんなことはありませんと。勿論それを言わなければ、事実がそうでございますから。申しましたけれども、そういうこ言葉を若輩の私に言うて下さろうなんて、夢にも思いませんでした。
言うならば、二十年間、まあここが始まって十七年間、本当に様々な難関を突破し、突破し今日あることをですね、又こう皆さんから同意して頂かれるということを夢にも思わなかったのが、十七年後の今日には、こういう雰囲気の中に、これは私、何時も申しておりますように、私はこういう尊い神様、こういう尊いお広前を建立されるのに、ね、誰かれが、あれが合楽が例えば私は言われる事の中に、私は教会長はいやだ。教会設立もいやだと私は教務所でも申したくらいですから、こういう有難い、人が助かっていくための信心ですから同心の各教会の先生方からでも、椛目のいや合楽の誕生をです、祝福して頂ける、そういう祝福の中にしか私はいやだ。それまで待つというのが私の生き方でありますから、本当に有難いことでございます。
私はその中に特に思わして頂いたのですけれども、なら若輩の私に言わば何十年という教職、先生としての経歴を積んでおられる、徳を持っておられる本郷の先生方。ああいう風に仰られるということは大変な事だと思いました。
お互いがですね、もう本当に若い者やらもう未熟な者が参りますと、言うなら見下げてでも、ものを言われるようなものでございますけれど、私どものような者にでも、私ども親子の者に対しましても丁重に扱われるだけでなくて、本当に今まででもこういう風にもたついておったとか、問題があったという事は、私どもの姿勢がたりませんでした。というようなお言葉を聞こうとは夢にも思わなかったですから、もうその一言で私は本当に素晴らしい先生だなあと思いました。
さすがにやはり甘木の初代の直系の三番目の御子息に当たる方ですが、成る程大きいなと思わせてもらいました。して私どもがです、例え若輩であろうが目下の者であろうが、本当にそれをそれと気付いたら、本当に私どもが親切がたらじゃったと詫びるところは詫びれれる、そういう心の状態がどれくらい私の心の中に響いてきたか、居並んでおる私どもに、どの様に感銘を深く与えたか、ね。そうしたからといって本郷の先生の言わば先生ぶりが下がられるどころか、一段も二段も輝いて見える様な気が致したのでございます。なかなかこのかん?にすみませんというのは言いにくい言葉といわれています。そういう言いにくい言葉を、それを淡々として仰る。有難い。先生だなと言う風に思いました。又同時にそんなにお詫びでも受けるようなことは実際はあってはいませんのですから、尚更のことそれを思わせて頂きました。
長い間かかったのは、私どもの信心が足らなかったのじゃというへり下ったものの考え方。私どもに今日は教えて頂いたような気がいたしました。特にその事を感銘、深こうして帰らせてもらいました。
お互いが本当に学ばしてもらわにゃならん、見習わなしてもらわにゃならん、そういう内容を信心に頂いていかなければならないということを感じさせてもらいました。そんなわけで今日は、一軒も行った所に不在の先生方もおられず、みんな本当に気持ち良く判を押して頂きましたことを、皆の先生方が喜んで捺して下さった事を、そんな事を感じたことを聞いてて頂きました。どうぞ。